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執筆者の写真mitsuny

愛されたい理由





愛はいつでも私たちにとっての最重大課題です。ここでいう愛は恋愛だけの事ではなく、育ってきた過程でお母さんやお父さんにもらった愛情の話でもあります。



愛などという言葉を使うのが恥ずかしいというような人でも結局、愛はその人を支配しているとヒプノセラピストとして痛感する毎日です。


人間は愛なしでは生きていきにくいものなのです。愛を感じられないと気分は憂鬱となりそしてそれが続くと死をもが視野に入ってきます。



日常生活の中でこうしたい、とかこうなりたい、とか思う事柄を考えてみてください。あなたの欲望、希望のゴールは何でしょう。


例えば痩せたい。どうして痩せたいんでしょうか。痩せてきれいになりたいのは恋人が欲しいからではありませんか。


それとも街を歩いていて注目を集めたいと言う理由でしょうか。いずれにしても他人から注目されたい、ましては愛されたいと言う願望ではないでしょうか。



成功したい。成功によってあなたが得るものは何でしょうか。注目を集める。人から尊敬される。有名になる。金持ちになる。


人から尊敬され注目され有名になる。これはまさに愛を得るという事ではありませんか。そしてお金もそうです。お金を持っている事で尊敬されたり注目されたりしませんか。


お金によって得られるものもそうです。素敵なドレスや靴やブランドものはあなたを美しく見せたり印象良く見せたりするものです。


パジャマや汚い格好で高級レストランに行ったりしません。それはやはり見た目によって人があなたをどう扱うかどう見るかが関わっているからですよね。



世の中の全ての欲求が愛を求めている行動である、と言っても過言ではありません。誰もが愛を求めているのです。



仮説ですが愛を十分に感じたり得たりすると愛を求める必要がないと言う事になりますよね。


では愛されたいとか愛を感じたいと思う事は多分、愛を十分に感じていない、得ていないと言う事になりますよね。



実は愛を十分に得ているか、と愛を十分に感じているかは全く違うトピックです。



例えばとても愛してくれる家族が居たりパートナーが居たりしてもその愛を十分に感じられるかどうかと言うのはあなたの力量にかかっています。


それと同じ理屈で十分に与えられているのに全然足りないと感じている人もたくさんいるわけですよね。


例の心理学で言うコップに半分の水の話です。ある人たちはコップに半分しかないと思うし、ある人たちはコップに半分もある、と思うわけです。


でももちろんコップに半分の水の量は両者に同じ量なわけです。



十分に与えられているのに足りない、と思うのはこう言った訳ですね。ましてや他の人と自分を比べて自分は少なく得ていると思ったりしたらこれはキリのない欲望となるでしょう。


現代社会ではこの世の中の隅々まで誰がどれだけ得ているかは明確に示されています。ライブ放送での豪華な生活の実況はもう誰にでもアクセス出来る事なのですから。




心理学では子供時代に両親の愛を真の意味で感じられたかどうかが私たち一人一人の持つ愛の量を決めます。


そしてその愛の量によって愛を日常的に感じて暮らせるかどうかが決まってきます。愛の量が多いほど愛を日常的に感じる事も多くなります。


そして愛の量や日常的にそれを感じられるかどうかが私たちの幸せや満足感に直接つながっているのです。



社会福祉科の修士号の授業の際にも勉強しましたが人間の赤ちゃんは他の人間との物理的な接触、触られることがないと生きていけないのだそうですね。


そして自分をお腹の中で育てたお母さん。お腹の中で聞いていた声は即座に泣いている生まれたての赤ちゃんを落ち着かせます。


赤ちゃんは知っているのです。お腹の中で自分の命は100%お母さんに委ねられていることを。


個人的な経験からも妊娠ほど誰かが自分を頼って自分なしでは生きていけないという事実を突きつけられる経験はありません。



それはもう人間のDNAの中に組み込まれた本能。お母さんに愛されて気にかけてもらうことが生き残りの道であると赤ちゃんは知っているのです。


この愛されたいという本能はいつも私たちの中に生き続けます。そしてそれが満たされないと生きるのが難しくなってくるわけです。


毎日が辛い、自分に自信がない、人間関係が上手くいかない、そんな問題を抱えるようになります。



しかしながら両親から示される愛はもちろん愛を感じたり自分の中に取り入れる練習でしかありません。


両親から愛を受けて育たなければ自分はいつも愛を探し続けるのか、と言えばそうである必要はありません。



もっと分かりやすく言えば両親から受ける愛の量によって私たちは自分という人間が愛を受けるべきなのか愛に相応しい人間なのか決めていると言うことです。


そうです。自己イメージを決める際に周りからどう扱われるかが決断の材料になっている訳ですね。



もっと言えば自分が何者であるかは生まれてからどう扱われるかによって決まります。


極端な例で言えば人間の子供でも狼に育てられれば自分は狼だと思う訳です。言葉も喋れませんし、狼のような行動で生きます。


自分を何者か決めるのはDNAではないと言う事になります。周りの環境から自分が何者であるか決定している事実は否めません。



狼は極端な例です。でもどれだけ愛を受けるか、または感じるかで自分をどんな人間か決めているのは全くつじつまが合います。


しかしながら狼に育てられても人間である事に変わりはありませんか。愛を受けて育てられなくても自分は愛に相応しい人間ではありませんか。



そうです。どんな環境で育ってもどんな扱いを受けても自分は愛に値する人間である、と思える事は本当に重要な事です。


これが心理学で言う自己イメージでありセルフエスティームです。子供の時の環境が今日のあなたを作っている、それは否めません。


子供の時の自己イメージがセルフエスティームが今のあなたの自己イメージでありセルフエスティームであるとする心理学は一理も二理もあります。


狼だと決めたら人間に戻るのは本当に難しい事でしょう。愛に相応しい人間でないと決めたらそれを変えるのは本当に難しい事ではあります。


だからこそ潜在意識の力が必要となります。意識の中でやるサイコセラピーではこの価値観が変えにくいのは事実です。




自分が愛される存在かどうか。毎日自分に問いかけてください。そうでないならそれが辛くなり過ぎる前にプロの助けを求めてください。


そしてその際には潜在意識のセラピー、ヒプノセラピーが最も効果的です。



素晴らしい1日を!






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